桐野さんが女性とは知らなんだ

★★★

この3連休の間に一気に読んでしまいました。。読後感はタイトルどおり少々グロテスク。人間の汚い部分を見せ付けられてちょっと気持ち悪いかも。作者のホームページに載ってたコメントにもありましたが、一人称のオンパレードで、一応ユリコの姉が「語り部」として主人公ではあるけれど、ユリコ、チャン(殺人犯)、和恵(東電OLのモデル、主人公の同級生)のそれぞれが一人称で語る内容は、微妙にニュアンスが異なり、何が真実なのか判らなくなってきました。公判の記録、新聞記事だけが真実で、あとはすべて何かしら真実を裏に隠したしまってます。
こういう小説をなんと呼ぶのでしょうか。この作者に今更ながら興味のわいてしまった私は、次にさっそく映画にもなった「OUT」を読むことにしました。この「グロテスク」は映画にするのは難しそうだなー。。
以下、公式ページ(http://www.kirino-natsuo.com/)で紹介されている作者のコメント。 全くしらなくてお恥ずかしいのですが、桐野さんというのは女性なんですな。。

有名な事件を素材にして小説を書くのは、これが初めてです。『柔らかな頬』は特定の事件をモデルにしているのではなく、子供の失踪について書こうという最初の考えがあって、それから取材を始めているので、今回は全く逆のパターンです。
どうして、あのOL殺人事件を取り上げたのか。よく聞かれる質問ですが、私は事件当時、マスコミがなぜ熱狂して報じているのか、全く理解できませんでした。一流企業勤務、一流大学卒、夜の街娼。こういう「記号」に男たちが発情しているような印象を受け、好奇心だけで被害者の身許や行動を露わにしようとする様が非常に不愉快だったのです。もしかすると、世間の男たちを発情させる「記号」そのものが、彼女を苦しめ、夜の街に立たせるに至ったのではないか、という印象を強く持ちました。だから女の私が書いてみようか、と思った次第です。
とはいえ、私が書くことによって、要らぬ関心を煽ったり、関係者の方に迷惑がかかるのではないかということが不安でした。しかし、現代社会に生きる女の辛さや息苦しさ、性という不可思議なものに侵される思いを何とか書き切れば、違うものも見えてくるのではないか、と冒険することを決心したのです。
執筆前に、幾つか仮説を立てました。彼女は街娼することによって、むしろ解放感を持ったのではないか、彼女はその解放感によって昼の生活を崩壊させたのではないか、彼女をそこに至らしめたのは、高校時代に何か嫌なことがあったのではないか、頑張り続けた彼女の考え方そのものに、どこか無理があったのではないか、などです。そうすれば、今の社会に置かれている女性の姿が少しは現れてくるのではないかと考えました。
この仮説に従って、主人公の高校時代から書いてみることにしました。そのまま時系列順に書いたのでは、主人公の姿が立体的に見えてこないので、醜い姉と美しい妹の姉妹、という非常に小説的な人物を造って絡め、醜い姉を「語り部」にして物語を語らせようと思いました。最後は、主人公・和恵の「売春日記」を書きたかったので、一人称のオンパレードです。姉である「わたし」の語りが主になり、「ユリコ」の手記によって売春というもの、常に男から評価される女という立場を語らせ、チャンの上申書で異世界からやって来る男を語らせ、最後は和恵の崩壊する過程となります。「グロテスク」というタイトルは、醜さ、歪んだもの、というより「怪物」のイメージです。